廣田神社の七五三
2016年10月4日
10月に入り、今年も秋の気配が感じられるようになってまいりました。
廣田神社では、七五三のご祈祷の受付を行っております。詳しくは祈祷案内のページをご覧下さい。対象年齢や祈祷料等も併せてご案内致しております。
七五三につきまして
七五三を古くは、男女児3歳の「髪置(かみおき)」、男児5歳の「袴着(はかまぎ)」、女児7歳の「帯解き(おびとき)」のお祝いといって、11月15日に氏神様に子供が無事にそれぞれの儀礼の年齢に成長したことを感謝する御礼参りを行い、一族で成長をお祝いした公卿や武家の儀式です。江戸時代に将軍家が盛大に行ったことから商家をはじめ一般庶民にまで拡がり、現在では、その年齢にあたる子供に晴れ着を着せて、11月15日に神社に参拝し、子供たちへの日頃のご加護に御礼を申し上げるとともに、今後の更なる健康と成長を祈願する儀式となりました。
本来日本は数え年ですので、数え年でお祝いするのが伝統的ですが、最近では満年齢で行う割合も高くなり、また参拝の日取りも11月15日にこだわらず、その前後の都合のよい日に参拝する傾向が強くなってきました。
11月15日が七五三の日とされるのは、東洋では奇数が陽数(おめでたい数)とされ、1年の中でも最も大きな奇数月の11月の最中の奇数日である15日が陰陽道でいう年中最良日とされ、その日に参詣するとご利益も高いと考えられたからです。
3歳・5歳・7歳という年齢は、陽数であると同時に成長段階の区切りで、身体や精神に変化があらわれ病気に罹りやすい時期でもありますので、七五三は子供にとっての厄祓えでもあります。
7歳までにこれほど多くの成長過程の儀礼が集中するのは、古来「7歳までは神の子」「7歳までは神の内」といって、まだ神の世界と人の世界の両方にまたがっていると考えられていたからです。
江戸時代の戸籍である人別帳にも七五三を終えて晴れて名前が載りましたように、社会の構成員となるのに必須の通過儀礼でもあったわけです。
■髪置の由来
平安時代頃には赤ちゃんは男女とも、頭を青く剃って、3歳になって初めて髪を伸ばすという風習がありました。「白髪」と呼ばれる綿帽子をかぶせ、その子が白髪になるまで息災であるようにとの祈りを込めました。
「生髪(せいはつ)」「髪立(かみたて)」ともいい、この日を境に髪を伸ばしました。
■袴着の由来
平安時代には男女児共に「着袴の祝」として初めて袴を着けて碁盤の上に立たせる貴族の儀式でしたが、江戸時代になると5歳の男児が初めて袴を着用するお祝いの儀式として定着しました。
■帯解き(帯解)の由来
小さい女の子は付紐の着物を着ていましたが、7歳からは付紐を取り去り大人と同じ帯を締めることを祝います。
■千歳飴
七五三では千歳飴を食べて祝います。江戸時代に浅草の飴売り七兵衛が工夫した飴が始まりだといわれています。
健康で長寿であるようにとの願いを込めて、水飴を煮詰めた引き飴を細長い棒状にし、縁起が良いとされる紅白に染め分け、松竹梅や鶴亀・翁媼などが描かれた手提げ袋に入れられています。
「長寿を意味する縁起」と言われ、親類などへの挨拶回りにも使われます。