めぐみ廣田の大田植え ー 令和元年 廣田神社伝承 お田植え祭 ー
2019年4月18日
今年も大田植え神事が近づいて参りました。今年は、5月27日の日曜日です。
この行事は、500年を超える歴史ある行事でしたが、昭和36年を最後に途絶えておりました。
平成元年に復興しましたが、阪神大震災で再び中止となり、去る平成11年、再復興が成し遂げられ、年々盛んに賑々しくなりつつ、本年はめでたく再復興14回目を迎えます。
実は、上の写真↑↑↑(神社だよりのタイトル写真)は、神社から御饌田に向けて出発した時の大田植えの行列です。強い思いで再復興を遂げたこの伝統行事を是非一度ご観覧下さり、お力添えを賜わりますようお願い致します。
■スケジュール
午前9時…………本殿祭午前10時…………御田植え行列(早乙女行列)進発 神社→御饌田
午前10時20分……御田植え行事
正午12時…………御田植え行列(早乙女行列)還行 御饌田→神社
■開催趣意書
日本の国では、稲のことを御稔=御年(みとし)と呼びましたように、原初的な歳時習俗は水稲栽培に伴う農耕儀礼を母体としていました。水稲栽培の困難さはその儀礼を重々しく且つ数繁きものとしましたが、その中でも特に重要視され盛大に 地域を挙げて行われましたのは、お田植えの行事でした。時代の変遷と共に、村落共同体の協働の解体や農耕機械の発達が進み、現在では早乙女たちの歌う田植え唄も聞かれなく なり、田の神に対する儀礼も衰退し、地域全体の公共祭事であった村田植え等は姿を消してしまいました。伝統的民俗行事・ 民族文化である農耕儀礼は、当然そこに生きる人々の心を反映するものですから、農耕儀礼の衰退は、郷土の大地と共に 生きてきた日本人の心が失われていく過程そのものであったと言えます。
廣田神社にも、西宮市教育委員会発行『西宮歴史散歩』や西宮市役所発行『西宮あれこれ』に紹介されている、500年を 越える歴史を有する御田植行事が伝わっていましたが、残念ながら都市化の影響など諸般の事情で、昭和36年を最後に 途絶えておりました。平成元年に御田植え行事を通じ、地域の和をより大きな輪へ拡げ、次代を担う青少年の心に少しでも 豊かな心情を培い、健全なる育成を図ろうと、広田地区の地域団体が中心となり復興を致したのですが、平成7年1月の 阪神大震災により中止のやむなきへ陥ったことは、本当に残念なことでありました。
私たちは、飽食の時代と呼ばれる時代を送ってきました。それと同時に、お米を始めとする食べ物に対する感謝の心を忘れ 世界では飢餓に苦しむ人々が次々と命を落としている一方で、多くの食物を無駄に捨ててきたのです。『古事記』や『日本書紀』の神話には、神代の昔、女神たちが自らの死を以て、その激しい苦しみの中で、人間達の食べていく食物を生み出されたことが記されています。人間にとって最も基本的な道徳倫理の一つである、食物に対する信仰・感謝の心の喪失は「いのち」の 軽視であり、このまま放置しておいてよい訳がありません。
地元の女子中学生が早乙女となり、男子小学生が田童となって、実際に田圃に入り苗を植える。普段は見ることもない 稲作りを、児童生徒が自ら実地体験し、自分や仲間たちの植えた苗の生育に関心を馳せ、一年を通じた栽培の労苦を知ることにより、自分たちが毎日食べているものの全てが、一朝一夕に作られ食卓に並んでいるのではないことを知る。また、 自分たちの食べ物が、太陽の光や水の流れによって育まれていることを知り、自然の恵みのありがたさを感じる。そして 食べ物に対する感謝の心を取り戻す端緒となれば「心の喪失」と呼ばれる、昨今の趨勢に歯止めをかける一助ともなるのではないでしょうか。
このような意識のもと、建物は立ったが「心」が取り残されたといわれた、震災復興の総仕上げとして、去る平成11年 豊かな心の涵養と年代を越えた地域コミュニティーの再生を、地域に根差した伝統文化・民俗行事を通して推進することを 目指し、広田・大社(越水)・安井(中)各地区の地域団体を始め、全市内の企業各社、篤志者の皆様方の多大なる御協賛を 賜り『めぐみ廣田の大田植え』の再復興が成し遂げられ、年々盛んに賑々しくなりつつ、本年はめでたく再復興14回目を 迎えます。
決して一宗教の祭典ではなく、地域全体の公共的な伝統民俗文化行事である『めぐみ廣田の大田植え』開催の意義を御理解御賢察賜りまして、来る5月27日(日曜日)に催行致します、再復興14年を迎えました本田植行事に、絶大なる御支援御高配を賜り、御賛助御協賛を戴きすよう、宜しくお願い申し上げます。